戦争遺跡学習(岐阜県可児市)

 岐阜県の勤務の時、勤務校の近くに、戦争遺跡がありました。
 戦争遺跡とは、『戦争の痕跡、戦跡、戦蹟。戦争のために造られた施設や、戦争で被害を受けた建物』のことを指し、日本全国にあると言われています。
以前、この場所の見学する授業を企画された先生がいて、個人的には興味をもっていました。

 しかし、日本史を担当しないということもあり、授業化までは考えてませんでした。しかし、大学院在学中に研究室のメンバーなどが中心になり『茨城県の戦争遺跡 学び・調べ・考えよう』という本を作っており、歴史系の同級生が茨城県内の戦争遺跡調査をしていたのは知っていました。なので、地元でも授業の一環としてしたいとも思っていました。

以下、見学の報告です。

【注意事項】
 地下壕に関しては、危険ですので、一人で立ち入ることはやめてください。また、事故等が起こる危険性もあるので、入るときには許可を得てください。


これが入り口です。可児市内にはこのほかにも何カ所かの地下壕が作られており、一部はトンネルとして利用されていたり、ウドの栽培に利用されていたりするそうです。ちなみにこの入り口があるあたりは、人の立ち入らない場所だそうです。


写真からは分からないかもしれませんが、かなり柔らかそうな土質です。


もちろん、ヘルメットと長靴が必要になります。岐阜県地下壕研究会のメンバーの方の指導で、見学させてもらいました。


二段堀というほりかたをしています。上と下で同時に掘り、広いスペースをしようとしたそうです。
しかし、上と下とで同時に掘る作業をするために、落盤事故が多く、多くの作業員が亡くなったそうです。


これも二段堀がよくわかる写真だとおもいます。

空気を取り込むための縦穴も何カ所かにあります。

なぜかコウモリも多く住んでいます。

 この可児市周辺には、多くの地下壕が建設されており、名古屋からの工場移転が計画されていたそうです。(掘っている最中に終戦を迎え、結局、工場移転は実現しませんでした)

 可児市に住んでいる若者も、これらの遺跡があることを知らないののも事実です。その後、これをスライドショー化して、可児工業高校では日本史の授業で取り上げました。生徒たちのほぼ全員がこれらの地下壕が戦争中に作られたという事実を知らないために、かなり驚いて授業を受けていました。

 身近なところに戦争遺跡があったりするので、ぜひ、調査などをして授業化してもらうと、歴史学習に深みがでてくると思います。

                   (以前のWEBページを一部改変)