感想 | 集団的自衛権の行使に賛成ですか?反対ですか |
---|
集団的自衛権は確かに戦後安全保障の大きな転換点であり、広く議論されるべきものだとは思います。ただ、議論を通して感じたことはあらぬ誤解が広まっているということです。
例えば徴兵制が復活するとか、戦争に派遣されるとか、誤った認識がなされているのはとてもマイナスなことです。内閣官房が掲載している『集団的自衛権一問一答』にも徴兵制や戦争への日本人の派遣などは否定されていますし、そもそも憲法第18条には『何人も、~その意に反する苦役に服させられない』と規定されています。護憲派かつ集団的自衛権反対のマスメディアはなぜこの条文を報じて徴兵制を否定しないのでしょうか。憲法を都合よく使っているのは彼らではないでしょうか。
マスメディアは太平洋戦争において実際とは異なる報道をしたり、国民の戦意高揚を狙って日本国が勝利を重ねているかのような報道をして、その責任を痛感したはずです。現在の報道機関はその反省の上に成り立っているわけで、同じ過ちを繰り返すつもりでしょうか。日本の世界的名誉を貶めるような記事ばかりを書き、何十年も経って『誤報でした』や『そのような事実はなかった』では済まないのです。海外では既にその記事をもとに様々な条例や日本への誤った認識が広まり、それは最早拭えないほどになっています。その責任は『日本の』新聞社として問われて然るべきであり、現にそうなっています。僕は報道の自由はそれが真実であった場合に外部からの圧力を受けずに報道できる権利を保証しているものだと思います。その前提が崩れ去っている記事や新聞に報道の自由などとは言ってほしくありません。もう一度マスメディアはその在り方を見直すべきです。
さて、本題の集団的自衛権ですが、憲法の前文に『日本国民は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすること』や『恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと』決意したと記載されています。そして何より、『われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。』と明記されています。僕はこれこそ集団的自衛権を後押しする一文だと思います。議論の中にも、他国をまるで見捨てるかのような風潮がありましたが、他国を見捨てる前に海外の邦人すら警護出来ない現行の法制度と国際法の解釈に問題があるのです。
また、一部で憲法違反だなどと個人的には大変な憤りを覚える主張がなされている自衛隊の方々は、この集団的自衛権によって、これまで以上に海外活動が増えることでしょう。『我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略および間接侵略に対し、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ公共の秩序の維持に当たる』これが自衛隊の定義です。そんな彼らを国会で『暴力装置』と語った官房長官がいましたが、災害大国日本において、今まで襲った国難に私を捨て、人命救助のために全身全霊をかけて下さった方々に対する評価がこれでは、彼らにただただ申し訳ありませんし、そのような人を国会議員にし、官房長官までやらせた国民にもその責任の一端はあります。そんなことを平気で言っていた民主党内閣は倒れましたが、国民全体として常に国民のためにその力を捧げようとする自衛隊の方々こそ、日本人の誇りであり、平和主義の象徴であると、あくまで個人的にですが思っています。
憲法9条には『日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』と書かれています。『国際平和』を希求するべき我が国が、自国の平和部隊のその力を海外で使えるようにするための今回の集団的自衛権です。本来は様々な法改正のもとに議論されるべきなのかもしれません。しかし日本を取り巻く状況にその猶予はあるのでしょうか。尖閣諸島、北方領土、竹島、日本固有の領土であるこれらの場所の領有権を主張する国の軍事力は格段に伸びてきています。核兵器を持っている国すらあるのですから。
そうした国との軋轢を最小限に食い止めることが外交です。その多大な努力の上に、そして日米安全保障の抑止力の上に、ひいてはこの国のためにその命をかけて下さった方々の犠牲の上に、今の我々の平和があるのです。外交と安全保障あっての平和だということを忘れてはなりません。諸外国と国際平和のために手を繋ぎ、日本の出来ることを、日本にしか出来ないことを希求することこそが、憲法の精神だと僕は思います。 | 賛成 |
私は集団的自衛権の行使に賛成です。確かに、世界中が日本のように戦力放棄を謳えば、理想的な世界平和が生まれるに違いありませんし、追い求めるべき理想であるように思います。しかし、世界の歴史の中で、武器が生まれ戦闘・戦争が始まってから、武力に裏付けられていない平和が訪れたことが一度もなかったように思えるのも事実です。そもそも、そのような平和を構築することは、文明の進展の初期段階から武力が根付いていたことを考えると、容易ではなさそうです。国際連盟に見て取れるように、経済制裁は失敗という評価がなされました。集団安全保障は、その次の案、言い換えれば、可能性のように思えるのです。また、集団的自衛権と個別的自衛権の二項対立で考えてみても、個別的自衛権はむしろ危険で、強力な軍隊が不可欠になりそうです。それならば、集団安全保障の枠組みに認めてもらえる程度、世界平和に寄与できる体制を整えるのが良いと思います。
しかしながら、懸念される問題もあります。まず、日本に徴兵制のような国民皆兵を示唆する制度が生まれないかということです。これは、議論の中で、否定されました。次に、軍国主義的路線へ踏み出しはしないかという懸念です。これには、自衛隊(仮)の活動を法律で統制するとともに、シビリアン・コントロールを徹底すべきだと考えます。ただし、一方で、事態に対応する迅速さも保っていなければなりません。防衛費の増大に関しては、平和のために受け止めざるを得ないと思います。それだけ、政府は財政改革に真剣になるべきなのです。
そうはいっても、平和のために武力を持つのはパラドックスのような気はします。日本としては、理想的な世界平和に漸近する先頭に立ってほしいと願います。 | 賛成 |
集団的自衛権について
私は日本が集団的自衛権を認めることに関して反対です。
同盟国からは助けてもらうのに日本はその同盟国を(軍事的には)助けられないという今の状況の居心地の悪さは分かるし、相手国側から見れば胸糞悪いだろうなっていうのも想像が出来るけれど国民感情として戦争が出来る状態になってしまうのは嫌だなと思う。
新3要件をクリアしないと権利の発動は出来ないとしているけれどその3要件にも色々な解釈が可能なように見えるし、権利の行使は初めは限定的なものであってもどんどん拡大していくことは当然起こってくると誰でも予想出来るし。
国会で論争してたときもどこかの党が主張していた個別的自衛権で政府の想定モデルはカバー出来るのではないかな、と思ってしまう。日本の数少ない良いところはなくしてはいけないと思う。
自衛隊の存在の根拠としている幸福追求の権利は集団的自衛権によって侵される可能性は大いにあるし、他国の戦線に加わるときに国民投票をするわけではなくどうせ内閣(首相?)が決めてしまうのだからそれは行えないようにしておきたい。
あと今回思ったのは政府が決定した政策について何を考えて(多くの場合他国の存在を意識して)決定したのか、話し合うのも面白そうだなーって思った。そういう話をするにはその問題だけでなく色々な背景を知らなければ出来ないから今よりももっと辛くなるだろうけど。
ウクライナ問題のときに話があったどういう議論は意味がなくてどういう議論なら今後に生かしていけるのか、という話も一度きちんと説明があるなり話すなりして欲しい。。。かも
| 反対 |